繁昌亭で落語を楽しむ幸福感は、
天神さんに抱かれた折節の情景や人間模様のように伝播してゆく商店街、
それに表門筋をチョット歩けば広がる大川(旧淀川)の温もり、
それらすべてがねんごろとなって、
「え〜とこでっせぇ」と何のためらいもなく自慢してしまう、そんなところにある。
 人も自然もない交ぜとなり、四季が寄り添ったところで人肌の芸をたのしむ、
おそらくこれ以上の贅沢はなかろう、と思う。

 大阪はごみごみ、ガツガツの代表都市で潤いなどまるでなし。
あんなコワ〜イ街に暮らしている人の顔が見てみたい、
などと仰ぎながら(顔にそう書いてある方が本当にいる、本当に!!)
やってくる「大阪、怖いもの見たさツアー」の一行も落語を聞き、この街を歩き、
天神さんにお参りすればあ〜ら不思議、表情が一変し、和んでいる。

 一方ちかごろは街歩きブームで、日曜や休日を中心に落語は聞かずとも、待ち合わ
せ(街歩きのスタート・ゴール地点)は繁昌亭前、という大阪人が多い。
 それは良い、良いのであるが、その大阪訳知り風のウォークマンたちの会話に登場
する小咄は舞台上のサゲよりきついモノがあって、腰を抜かしそうになるときがある。

 先日、聞くとはなしに耳に入ってきた会話・・・
「へぇ〜、来週はツルヒカリが繰るんか」(鶴光さんのこと、らしい)
「ツルヒカリて、そんな落語家いてたか?」
「あんた知らんか、そしたらこのミツカゼは?」(三風さんのこと、らしい)
などという、恐ろしいモノであった。

 繁昌亭の前でこれほど見事なズッコケもなかろう、と思いつつ、
ひとつ考えたことがある。ブームのご当地検定、ご他聞に漏れず「大阪検定」も実施されたと聞く。
ならば、上方落語の噺家さんの10人や20人は答えねばなるまい。
 大阪の最高峰はとか、いまの大阪城の完成年は、など、
たわいない知識も大切だけど上方落語の面々を、まったく知らんようでは大阪検定の名が泣くというものだ。
 今を生きる人物像と一対の街、それが大阪、繁昌亭の四季というものやから。ookawafuyugesiki.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真の説明・・・・・「大川沿いのクリークにやってきた冬景色」繁昌亭からの散歩、
                   まるで落語の一場面のような世界に出会える。